サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。 しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。
それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。 また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。 それを知った兄弟たちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスへ出発させた。こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。
<説教> 「しかしバルナバは」
今日の聖書箇所では、サウロと言う人と、バルナバと言う人が出てきます。
サウロというのは、異邦人への使徒パウロのことです。もともとはイエスラエル王国の初代の王サウルと同じヘブライ語の名前でしたが、ユダヤ人ではない異邦人へ伝道していく際に、当時の公用語だったギリシャ語読みの名前を名乗ったのでしょう。
サウル、パウロはサウル王と同じ、ベニヤミン族出身で熱心なユダヤ教徒のファリサイ派というグループに属し、彼らが異端と考えていたキリスト教徒たちを迫害し滅ぼそうとしていました(ガラテヤ書1章13節)。キリスト教の最初の殉教者ステファノの処刑にも賛成していましたし、キリスト教徒を捕らえては牢に送っていました。しかし、ある時、迫害しに出かけた時、復活したイエス。キリストに出会い、自分が間違っていたことを思い知らされました。これまでの過ちを知り、そしてそれを赦されたことを知って回心したパウロは、自分に起こった出来事を周りの人に語りだし、今度は熱心にイエス・キリストを宣べ伝える人になりました。そして、エルサレムに来て、イエス・キリストの弟子に加わることを望みました。
しかし、これまで熱心に自分たちを迫害していた人から急に、キリストの弟子なりたい、あなた方の仲間になりたいと言われても、おいそれと信じられるものではありませんよね。こちらを油断させて罠にかけ、捕らえて酷い目に遭わされるのではないかと思っても無理はありません。誰もパウロを信頼してくれる人はありません。神さまは赦してくれても、私たち人間が他者を赦すのはなかなか難しい。自らの行いが招いたこととはいえ、さすがのパウロも途方に暮れたことでしょう。
しかし、そんなパウロに救いの手を差し伸べた人がいました。それが今日のもう一人の登場人物のバルナバです。彼はパウロほど有名ではありませんが、初期の教会の中で、とても大きな働きをした人でした。キプロス島出身でヨセフという名前でしたが、バルナバ「慰めの子」という意味のあだ名を使徒たちからもらうほど信頼されていた人です(使徒4章36節)。
使徒言行録では「バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ち」多くの人を信仰に導いたと記されており(使徒11章24節)、後にはパウロと共に「使徒たち」と呼ばれ、使徒の一人に数えられています(使徒言行録14章14節)。
他のキリスト教徒たちが信用しない中にあって、しかし、バルナバは、彼だけはパウロを信頼し、イエス・キリストの主だった弟子である使徒たちの所へパウロを案内しました。そして、パウロが迫害に出かけた旅の途中で、復活したイエス・キリストに出会い、語りかけられ、回心してイエス・キリストを熱心に宣教したことを説明しました。
信頼するバルナバがそういうのであれば…。使徒たちはパウロの回心を信じ、パウロを受け入れました。異邦人への使徒として後世にまで名を遺すようになったパウロの働きの陰には、バルナバの執り成しがあったのです。
キリスト教徒として受け入れられたパウロですが、彼は他のユダヤ教徒から裏切者として憎まれたのでしょう、今度は自分が、同胞であるユダヤ人たちから命を狙われることになります。そこで仲間となったキリスト教徒たちはパウロを、彼の故郷であるタルソスへと密かに逃がしました。
パウロと言う熱心な迫害者がいなくなったためでしょうか、ユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方の教会は平和に発展していったと記されています。
後にバルナバは、イスラエルの北、シリアのアンティオキアにあった教会で異邦人伝道の責任者となり、その協力者としてパウロを招きます(使徒言行録11章)。そのことがパウロの宣教旅行へと繋がって、地中海世界に福音が広がっていきました。そう考えると、バルナバと言う人がいなければ、ここまでのパウロの活躍はなかったかもしれません。
この人にはもう一つ、エピソードがあります。彼の従弟にマルコと呼ばれるヨハネという若者がいました。バルナバとパウロは聖霊なる神さまの命令に従って第1回目の宣教旅行に出かけることになった際、バルナバとパウロはこの青年マルコを助手として伴いました。しかし、ホームシックになったのでしょうか、青年マルコは旅の途中で脱落し家に帰ってしまいます(使徒言行録13章)。
2人だけになった宣教旅行ですが、成功の裡に終わり、エルサレム教会の使徒たちからも異邦人伝道を正式に認められるようになりました。その後、パウロは第1回目の宣教旅行で訪れた町々を再訪したいと考え、バルナバを誘います。バルナバは今度も、青年マルコを連れていきたいと望みました。一度失敗したマルコに、再びチャンスを与えようと思ったのでしょう。
しかし、信仰に燃えるパウロは一度失敗したマルコを信頼せず、反対します。二人の意見は激しく対立し、ついには別行動をとるようになります(使徒言行録15章)。パウロはシラスという仲間と共に第2回目の宣教旅行に出かけ、バルナバはマルコを連れて故郷のキプロス島に帰り、そこでキプロス島の教会の創始者となったと伝えられています。
バルナバはパウロと並ぶ異邦人伝道の草分け的な存在でしたが、協調的な性格の為か、律法を重視するユダヤ人キリスト者の偏狭な意見に流されることもあり、ガラテヤ書でもパウロから批判されています(ガラテヤ2章13節)。
途中で脱落したマルコを赦せなかったパウロと、ユダヤ人キリスト者の目を気にして異邦人キリスト者に良くない態度を取ってしまったバルナバ、そのどちらにも失敗があり、使徒と呼ばれるほど信仰熱心な人であっても、完璧な人はいないのだと思わされます。
ケンカ別れになったバルナバとパウロ。しかし、そのままでは終わらなかったようです。その後に書かれたコリントの信徒への手紙Ⅰの9章6節にはパウロの同労者としてバルナバの名前が挙がっています。それだけでなく、コロサイの信徒への手紙4章10節では、バルナバとパウロが対立するきっかけになったマルコが、投獄されたパウロと一緒にいる様子が描かれており、またフィレモンへの手紙でもパウロの協力者としてマルコの名前が挙げられていることから、彼らが和解できたことがうかがい知れます。
この青年マルコは、マルコによる福音書の著者と考えられており、アレクサンドリア教会の創始者ともされています。もしもバルナバがパウロと一緒になってマルコを見捨てていたら、彼はどうなっていたでしょうか。
キリスト教徒を迫害していたパウロと、宣教旅行を途中で投げ出したマルコ。しかし、そのどちらをも赦し、受け入れた、協調的で寛容なバルナバの存在が、パウロとマルコを導き、後の大きな仕事へと繋がっていったと言えると思います。
確かに、バルナバも完璧な人ではありません。また、パウロやマルコほど有名な人でもありません。けれども、彼がいなければ、パウロもマルコも今日伝わっているような大きな仕事は出来なかったかもしれない。そう思うと、バルナバは本当に尊敬できる信仰の先輩だなと思わされます。
彼は他の人から見れば信頼できない、過去に過ちを犯した人を受け入れ、信頼しました。それは、イエス・キリストの姿と重なります。キリストも自分たちを裏切った弟子たちを赦し、そして信頼してご自分の仕事を任されました。バルナバは信仰者として、キリストを深く信頼していたからこそ、自分もキリストに倣う者として行動できたのだと思います。
私たちもバルナバに倣い、私たちの主イエス・キリストを信頼して、互いに赦し合い、受け入れ合って歩むことができますように。
