2026年6月7日 聖霊降臨節第3主日 使徒言行録4章13~31節

議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、ひと言も言い返せなかった。そこで、二人に議場を去るように命じてから、相談して、言った。「あの者たちをどうしたらよいだろう。彼らが行った目覚ましいしるしは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡っており、それを否定することはできない。しかし、このことがこれ以上民衆の間に広まらないように、今後あの名によってだれにも話すなと脅しておこう。」そして、二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令した。しかし、ペトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」議員や他の者たちは、二人を更に脅してから釈放した。皆の者がこの出来事について神を賛美していたので、民衆を恐れて、どう処罰してよいか分からなかったからである。このしるしによっていやしていただいた人は、四十歳を過ぎていた。

さて二人は、釈放されると仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちの言ったことを残らず話した。これを聞いた人たちは心を一つにし、神に向かって声をあげて言った。「主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造られた方です。あなたの僕であり、また、わたしたちの父であるダビデの口を通し、あなたは聖霊によってこうお告げになりました。

『なぜ、異邦人は騒ぎ立ち、諸国の民はむなしいことを企てるのか。

地上の王たちはこぞって立ち上がり、指導者たちは団結して、主とそのメシアに逆らう。』

事実、この都でヘロデとポンティオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民と一緒になって、あなたが油を注がれた聖なる僕イエスに逆らいました。そして、実現するようにと御手と御心によってあらかじめ定められていたことを、すべて行ったのです。主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。

目次

<説教>「聖霊に満たされて」

イエス・キリストが十字架につけられるとき、弟子たちはみな逃げてしまいました。怖かったのでしょう、命が惜しかったのでしょう。それも無理はありません。自分もその場にいたなら、きっと逃げてしまったと思います。でも、復活したイエスさまは自分を裏切った弟子たちを赦し祝福してくださいました。そして天に帰るご自分の代わりに、神さまの霊、聖霊を与えてくださいました。

それが聖霊降臨、ペンテコステの出来事です。

弟子たちは聖霊に力づけられ、大胆にイエスさまの愛を伝える人へと変えられていきました。人目を避けて集まっていたのに、堂々と人前に出てイエス・キリストの福音、良い知らせを語り始めたのです。

私たち人間にはどんな人にも罪がある。自己中心的で、自分が神さまのように振舞い、他者を傷つけてしまう。私たちを造ってくださった神さまは、互いに愛し合いなさいと言っておられるのに…。でも、神さまはイエスさまを通して私たちの罪を赦してくださった。裁かれないために愛するのではなく、赦されたことに感謝して愛するようになるために。

イエス・キリストを通しての愛と赦し、それは聖書に預言されていることでした。聖書はイエスさまを指し示し、私たちが互いに愛し合うために神さまから私たち人間に与えられたもの。イエスさまは、私たち一人ひとりを悪から離れさせ、祝福してくださるためにこの世界に来てくださったのです。

イエスさまの弟子たちはこのことをエルサレムで宣べ伝え始め、たくさんの人がイエスさまを救い主と信じるようになっていきました。しかしこれは弟子たちにとって命の危険がある行為でした。

師であるイエスさまは時の権力者によって殺害されたのです。それなのにそのイエスさまこそが神さまから遣わされた救い主だというのですから。

神の子イエスさまは形骸化し、神さまの愛から離れた当時のエルサレム神殿の当局者や宗教的権威者たちを批判し、対立しました。そしてその人気を嫉妬され、ローマ帝国に対する反乱者という濡れ衣を着せられて、残虐な見せしめの処刑方法である十字架で殺されました。神殿当局者たちは、ようやく邪魔者を片付けたと胸をなでおろしたことでしょう。ユダヤ教では木につるされて殺されるという死に方は神さまに呪われた死に方だと考えていましたから、イエスさまを肉体的に殺すだけでなく、これ以上にないというくらいに侮辱した上で殺害したのです。これによって、イエスさまの存在も民衆からの人気も完全に葬り去ったはずでした。

それなのに、一度は逃げ去ったはずのイエス・キリストの弟子たちが現れて、殺されたイエスさまが神さまによって復活したというのです。たしかに、イエスさまの死体はいつの間にか墓からなくなっていました。そして弟子たちは人が変わったように堂々と宣教しはじめ、奇跡的な出来事も起こり、多くの人々がイエス・キリストを信じ始めている!

弟子たちが伝えたイエス・キリストの復活と救い、これは当時のエルサレム神殿当局者たちからすれば実に都合の悪い話でした。彼らを放っておけば自分たちの権威に傷がつく、そう考えたのでしょう。彼らはイエスさまの弟子の中心人物であったペトロとヨハネを捕らえて尋問し、脅しつけてその口を塞ごうとしました。それは彼らからすれば、簡単なことだったはずです。自分たちには権力があるし、ローマ帝国の後ろ盾もある。それになにより、彼らは辺境のガリラヤから来た無学な田舎者。宗教論争で打ち負かし、脅しつければすぐに言いなりに出来ると思ったことでしょう。なにしろ、先生であるイエス・キリストを彼らは殺しているのです。それなのに、どうしたことでしょう。無学なはずの彼らが堂々と、理路整然と神さまの救いについて一歩も引かずに語るのです。

イエス・キリストこそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』。権力者たちは邪魔だと殺して捨てたけれど、神さまはその方を用いて神の家の礎石とされた。神さまは人間の勝手な思いを越えて働かれる方。どれだけ知恵を巡らし暴力を用いても、人間は神さまには勝てません。神の子であるイエス・キリストの「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」

エルサレムの祭司長ら神殿当局者たちは弟子たちを脅しつけて口を塞ごうとしますが、ペトロとヨハネは答えます。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」

今を生きる私たちには、イエス・キリストの復活を直接目にすることはできないですから、イエスさまの復活を信じるのが難しいのはよく分かります。けれども、命を惜しんでイエスさまを見捨てた弟子たちが、こんなにも変えられた。その事実が、イエス・キリストの復活を信じる根拠になるように私は思えるのです。

権力者ら人間は確かに強く、自分たちの命を奪うことが出来るかもしれない。でも、神さまは殺されたイエス・キリストを復活させられた。弟子たちは確かに、イエス・キリストを通してその後ろに居られる神さまを見たのです。そしていま、目には見えなくても聖霊なる神さまが自分たちと一緒におられる。それなのに、神さまに背いて、神さまではなくて人に過ぎないこの世の権力者に従うことが正しいのか。そんなはずがない。この世界は、この世界をお造りになった神さまのもの。

その神さまが一緒にいてくださることを知った今は、正しいことを語らずにはいられない。神殿当局者たちはなすすべなく、彼らを釈放しました。

弟子たちは解放されたことを喜びあい、神さまに感謝の祈りを奉げます。そして、「思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください」と祈りました。彼らは自分たちが弱い存在であることを知っています。そして、神殿当局者たちが本気になれば、イエスさまにしたように、自分たちを迫害して命を奪うだろうことも知っています。神さまが一緒にいてくださらなければ、自分たちだけではとてもではないけれど、神さまのみ言葉を語ることなどできません。しかし、彼らには聖霊なる神さまがついています。祈り終わると彼らは「聖霊に満たされて」大胆に神さまの言葉を語ることが出来るようになったと書いてあります。

今日の私たちが住む世界も、聖書の時代と似ているなと思う時があります。人権や国民主権といった当時はなかった概念に守られつつも、世界に目を向ければ権力者たちは戦争を引き起こし、国民の命や平和を脅かしています。この国でも、平和憲法という私たち国民を守る鎖を切って権力が暴れ出そうとしています。このような時に、「互いに愛し合いなさい」という神さまのみ言葉を語るには、勇気がいる時代になりつつあると恐怖を感じます。でも、私たち神さまの民は語らなければなりません。

「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」と弟子たちが語ったように。

私たちはイエス・キリストを信じている。神さまの愛を信じている。あなたも、わたしも、どんな人も、私の目に値高く尊いと言ってくださっている神さまを知っている。そしてその神さまは私たちと一緒にいてくださっている。聖霊に満たされて、私たちも神さまの愛のみ言葉を、この世にあって、大胆に語れますように。

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