2025年10月5日 聖霊降臨節18主日・世界聖餐日 出エジプト記20章1~17節

1神はこれらすべての言葉を告げられた。

2「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。 3あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない

4あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。 5あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、 6わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。

7あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。

8安息日を心に留め、これを聖別せよ。 9六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、 10七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。 11六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。

12あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。

13殺してはならない

14姦淫してはならない

15盗んではならない

16隣人に関して偽証してはならない

17隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」

目次

<説教> 「十戒」

エジプトで奴隷とされて苦しんでいたヘブライ人たちを、神さまは預言者モーセを通して助け出され、神の民とされました。そしてその契約の印として与えられたのが十戒です。この十戒を語られる冒頭で、神さまはまずご自分が何者なのかを語られます。それは、「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」ということでした。当時の奴隷制社会において、奴隷は家畜と同じように見なされ、主人の所有物でした。自由が奪われ、人間性が奪われ、搾取され、殺されることもある、そのような存在でした。神さまはそのような奴隷状態から解放し、自由人とされたヘブライ人たちと契約を結び、彼らは神さまの民とされたのです。

この構造はイエス・キリストの十字架と復活、そして私たちへの招きという神さまの恵みと同じです。ヘブライ人たちは最も貧弱な民で、何の功績もなかったけれども、神さまの彼らへの愛によって救われました(申命記7章6~8節)。まず神さまに救われ、そして救われた者として、神の民として掟を守って生きるという道を与えられたのです。それは彼らが救いの原型、ひな形として示され、すべての人が祝福された神の民として生きるようになるためでした。

イエス・キリストによって招かれた私たちもまた、何の功績もないのに、ただ神さまのすべての人への愛によって、十字架で救われ、神の民とされました。そして、神さまに救われた者として、互いに愛し合うという掟を守って生きて行く道を与えられています。今や救いの道はすべての人に開かれ、すべての人は互いに愛し合って生きる道に招かれています。私たちの前には、そのお招きに応えるのか、拒むのか二つに一つの道があります。私たちは、招きに応えた生き方をしたいのです。

神さまからヘブライ人たちに与えられた掟、律法は要約すると、神さまを愛し、隣人を自分のように愛しなさいということです。それは後に細分化されややこしくなって、守り切れなくなっていきますが、その原型ともいうべきモーセを通して与えられた守るべき10の掟、十戒は神さまと隣人を愛するための具体的な教えです。ですから、今日の私たちにとっても大事な教えだといえます。

①あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない

神さまは私たちと、「あなた」と「わたし」という親しい関係を結んでくださるお方です。

神さまは私たちにとって親であり、イエス・キリストは私たちの兄弟であり、先生であり、友です。

「~ならない」と訳されていますが、これは単純な禁止ではなく、「~するはずがない」のような期待をこめた禁止という感じなんだそうです。

私たちが自由にされたのは神さまのおかげ、神さまの愛ゆえです。神さまによって自由にされた、あなたが、その神さま以外の偽りの神に従うはずがないよね、という感じです。

親は子に、良い人間として生きてほしいと望むものだと思います。私たちの造り主であり、親である神さまも、私たちに、神の子として、良い人間として生きてほしいと望んでおられるのです。

②あなたはいかなる像も造ってはならない

これは偽りの神々、偶像崇拝の禁止です。偶像崇拝とは、神ではないものを神のように崇める行為です。それは、愛である神さま以外のものを、絶対の価値観とし、それに従うことだと言い換えられると思います。この世界にはたくさんの偶像に満ちています。お金、富、権力、民族や国家、組織や権力などなど…、また自分自身も偶像になりえます。そうした神ではない存在を、絶対の価値として見るならば、せっかく自由にされたのに、私たちは再び何かの奴隷とされ、愛である本当の神さまから遠ざかることになってしまいます。

③あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない

これは、安易に何でも神さまのせいにするな、また、神さまの名前を悪に用いるな、そう言われれているのだと思います。古代において、名前はその存在の本質を表すものと考えられていました。魔術や呪術でも、神々の真の名前を知り、唱えることで、神々に願いを聞いてもらおうとしたのです。これは神さまを、自分の願いを叶えるための道具として見るような行為だと思います。

人類の歴史をみても、私たち人間は、しばしば神さまの名前を持ち出しながら、自分の気に食わない存在を攻撃することがあるように思います。神さまの名前を振りかざしながら、誰かを攻撃することは、すべての人を愛しておられる神さまに反し、神さまを自分の道具にしようとすることで、正しいこととはいえません。

④安息日を心に留め、これを聖別せよ

聖書の神話では、神さまはこの世界を6日間で造り、1日休まれました。神さまの世界創造に感謝し、また後には、エジプトの奴隷からの解放を祝って礼拝する日となりました。古代ユダヤ教では1日は朝からではなく日没から始まります。ですから、週の終わりの日である、金曜日の日没から土曜日の日没までを安息日として祝っていましたが、キリスト教ではイエス・キリストが復活された日曜日、週の始まりの日を安息日として祝っています。神さまはこの世界を造ってくださり、エジプトの奴隷から解放してくださった。それと同じように、イエス・キリストは、新たな人間として私たちを再創造され、死の奴隷から解放してくださった、そのことを祝うのです。

殺すなかれなどの他の教えにもまして、安息日が前に来てるのに意味があると思います。安息日は、この世界における、神さまの支配を認め、神さまと私たちの関係を結びなおす日です。また、安息日は、休息し、元気を取り戻すための日です。私たち人間には休みが必要です。神さまですら、休まれるのですから、私たち人間はなおさらのことでしょう。

この教えは、自分だけでなく、他の人のことも休ませなさいという教えです。しかし、時に私たちは休むことよりも利益を優先させてしまいます。子どもや奴隷、外国人や家畜…。搾取され、弱い立場に置かれやすい存在に、きちんと休みを与えなさい。富、資本という偶像に目がくらんだ社会では、労働者に休みを与えず、長時間労働させようとしますが、それはいけないと、利益最優先の考えが戒められています。

また、家畜にまで言及されているところが素晴らしいと思います。この神さまに造られた世界は、広大で素晴らしいですが、無限ではありません。この世界にある資源も、私たちが欲望のままに採り尽くせばなくなってしまいます。土地も同じ作物を植えていると土地が瘦せていくといいます。海産物も無計画に獲れば絶滅して獲れなくなってしまいます。神さまがお造りになったこの世界には休みが必要なのです。

⑤あなたの父母を敬え

ここだけ禁止ではありません。法律などで「~してはならない」と言われているのは、私たちがそのことをしてしまうから。「~しなさい」と言われているのは、私たちがそのことをしないからだと聞いたことがあります。いつの時代も、父母、特に老いて働けなくなった父母のことを軽んじたようです。

今日の社会でも高齢者バッシング、世代間を分断させようとする悪意ある言説を見聞きすることがあります。しかし、どんな人も、いつかは必ず老います。老いた父母が大切にされる社会というのは、すべての人が大切にされる社会に繋がると思います。父母と子との関係も神さまが与えてくださったもので、大切にしたいと思います。一方で、この教えは父母からの理不尽に問答無用で耐えろということではありません。コロサイの信徒への手紙でパウロは家族がお互いに大切にし合って生きることを教えています。夫婦や子は、最も近い他人、隣人です。家族の間でも相互の敬意は必要です。

⑥殺してはならない

神の民、神の子であるあなたは殺してはならないと言われています。命は神のもの。私たちは命を奪うことは出来ても、命を戻すことは出来ません。神さまはすべての存在を愛し、殺してはならないと言われます。神さまの命令だとして戦争を肯定することは出来ません。

⑦姦淫してはならない

これは、不倫してはならないという教えだと理解していただけばいいと思います。不倫はパートナーを軽んじ、大切にせず、敬意を欠き、傷づける行為で、互いに愛し合いなさいという神さまの命令に反しています。神さまが与えてくださった自由は、欲望のままに自分勝手していいということではありません。

⑧盗んではならない

これは物や財産を盗むということだけでなく、誘拐も含む言葉だそうです。誘拐、人身売買、奴隷制の禁止と読めます。神さまによって奴隷の身分から解放されたのに、その自分が、他者の自由を奪い、物のように扱うことは、神さまの御心に反します。

⑨隣人に関して偽証してはならない

人偽証は裁判における嘘を指します。冤罪や謀殺の禁止です。偽証は、嘘によって人が死ぬことになりますから、殺人の罪に繋がります。また、法廷では神さまの前で誓いますから、神さまの名を軽んじることでもあります。冤罪やデマの蔓延る昨今、他人事ではないと思います。偽証は公正と正義を損ない、人命も社会全体の信用も損なう卑劣で恥ずべき行為です。

⑩隣人の家を欲してはならない

これは、むさぼりの禁止です。むさぼり、貪欲、嫉妬、他の人の物を欲すること、これらが私たちに他者を傷つけさせる、罪を起こさせる動機になります。何かを為す原動力になりますから、望みを持つことは必ずしも悪いことではありませんが、しかし欲望には際限がありません。際限のない欲望は他者を傷つけ、私たちを愛である神さまから遠ざけます。この世のものは一時のこと。死の先には何も持ってはいけません。「わたしの恵みはあなたに十分である」と言われる神さまに感謝し、「足るを知る」ことが、必要です。

十戒を見てきましたが、どの教えも、神さまを愛し、隣人を自分のように愛しなさいという最も大切な教えに通じることが分かります。今週も私たちを愛してくださっている神さまに従って、神さまの民として、互いに敬意を持ち、大切にし合いながら、一緒に生きて行きましょう。

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