マタイによる福音書 9章35節〜10章8節
35 イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。
36 また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。
37 そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
38 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
1 イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。
2 十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
3 フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、
4 熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。
5 イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。
「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。
6 むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。
7 行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。
8 病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。
ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
「すでに到来していたとは」石川宣道牧師(室蘭知利別教会)
この度交換講壇の相手として室蘭知利別教会に声を掛けていただきありがとうございます。ご期待に応える事ができるか心許ないのですが、「たまにはこういう日も良いわね」と受け止めていただき、そして「やっぱり三好先生が良いわ」と来週を楽しみにしていただけたら、今日の交換講壇は成功かと思います。
室蘭知利別教会は敷地は教会の物、建物はこども園の物として建てており、礼拝はこども園のプレイルーム(ホール)に、毎週椅子を並べて行っております。間借りしている様を想像していただければ、実態に近いと思います。月曜から土曜はこども園が行われているので教会の方の居場所が無く、幼稚園時代からそうですが、教会の皆さんは日曜日の他はあまり来られません。
毎週の礼拝出席者は17〜20人くらいです。内子どもが2〜3人。1〜2年前だと20〜23か24人くらいでした。同じく子どもを3〜4人含みます。毎週礼拝に来られていた方がそうでなくなり、月何回か来られていた方が月1回、月2回になられて、じわじわと全体の出席人数が減っている印象です。日曜礼拝への信仰的依存度が高い教会ですが礼拝に出席する機会が減っており、各人への影響をどのように補えるか模索しています。日曜礼拝というわずかな時間さえ薄れていく中で、一人と教会がどのように繋がっていくか、一人と来会者同士がどのように関わりを保てるか、お昼の時間に月寒の皆さんからもお話を聞けたらうれしいです。
夏の初めに近所で不発弾が見つかるということがありました。園児を連れて夕方4時過ぎ、小学校の体育館に避難しました。避難所となった体育館では、壁沿いにぐるりと椅子が並べられ、体育館中央に銀マットも敷かれました。避難してきたご近所さんはただただ椅子に座って時間を待つだけ、四方から視線が集まるマットに横たわる人はいません。時間が経ち「夕食が無いのに食後の薬はどうしたら?」との心配の声が出て来ました。仕事を終えて帰って来る家族は「家は立入禁止区域になった」と突然連絡を受け、体育館にやって来ます。作業着姿の方を見て、一っ風呂もビールも無く、横になってリラックスもできないなぁ、と感じました。何時に帰れるかの目処もつきませんでした。不便だったのは当日だけでしたが、不発弾が近くにある、そんな危険と隣り合わせの日々は、昨日も先週も毎日同じだったはずで、これまで何年何十年知らないから危険も何も感じなかっただけです。
イエス様は「天の国は近づいた」と告げましたが、これは「天の国は到来した」とも翻訳できます。天の国=神様の御支配が近づいているだけでなく、既に地上にやって来たと、天の国が地上に現れているという事です。イエス様が教えてくださらなければ、人は天の国が近くにあることを知らず、気づかず、分からないから実感を持っていなかったでしょう。人々が何の意識もしていなかった所へ(生活の中に)、イエス様は天の国がここにある事を宣言されました。天の国の到来、それはまだ先の事と考えていたのに、今まさにこの時、自分の周りに天の国があり、自分や周りの人達は神様の御支配の中にある、と知らされます。気づいていなかったけれど、そうだったのか。イエス様の言葉があるか無いかは大きな違いを生み出します。天の国の到来を知らない時も、知った後も、本当は同じ状況なはずなのに。
私がいわゆる伝道師時代を過ごした札幌北光教会の前牧師は岸本和世牧師でした。私が北光に居た時は、岸本牧師が引退されて数年経ち、心も体も解放されリフレッシュされた先生は、週に何度かは教会に来られ「この話を知っているか」「この本は読んだか」とあれこれと個人的にご教授に来られました。一年経ち結婚して妻が札幌に来たので、難しい話は妻に、私とは雑談をするようになられました。岸本牧師の牧師人生は東京・霊南坂教会から始められたので「(御自分の)結婚式の入場曲は大中寅二氏が書き下ろしてくれた」とか、「小樽公園通教会が育った教会で、窓の無い部屋で過ごしたのが自分の暗い性格を形成している」だとか話題は雑多に、聖餐と礼拝の話等沢山のお話をしました。記憶の奥底に埋もれて忘れてしまった話もあります。山口を経て北海道に戻ってきてからもウチの子の洗礼について話したり、岸本先生の授業は続きました。
昨年岸本和世牧師は召され、初夏に札幌北光教会で記念会と、教会墓地で納骨式を行いました。記念会で幾人かの方が岸本牧師との思い出を話されたので、私も埋もれていた記憶の中から思い出せた話がありました。
岸本和世牧師は霊南坂教会での伝道師・牧師を経て、日本基督教団の幹事として事務方を担われ、その後アメリカへ留学されました。
閑話休題
同じく昨年亡くなられた深田未来生牧師は、父・深田種嗣牧師と賀川豊彦氏の縁から「賀川豊彦の鞄持ちをしていた事があり、これからは私(賀川)の鞄ではなくキリストの鞄を持ちなさい、と言われアメリカに渡った」と仰っておられました。アメリカでは「キング牧師の説教を(演説だったかも)聞いたことがある」と。私からしたら賀川豊彦もキング牧師も、歴史上の人物・出来事で、それを直接経験しているのが驚きですし、聞いたその時は教科書の字面と生の声が結び付かず不思議な気持ちでした。
岸本和世牧師のアメリカ留学の話に戻りますと、岸本和世牧師はアメリカの公民権運動(自由民権運動)の最中の時代に留学していました。岸本牧師は、「自分はWe shall overcomeを歌った最初の日本人かもしれない?」と言われます。讃美歌第2編164番「勝利をのぞみ」の日本語詞は和世牧師の兄岸本羊一牧師の翻訳作詞です。「ああ、希望にあふれて 我らは進まん」。和世牧師がアメリカで公民権運動に参加し、その場の熱気、真の解放への期待、高揚感等現地の空気と共に兄羊一牧師にWe shall overcomeを伝えたのかもしれません。羊一牧師の歌詞は「もう、すぐ、其処に辿り着く」、勝利と解放の確信を感じさせます。兄岸本羊一牧師の翻訳作詞であるのを考えると、弟和世牧師が最初に歌ったと言われるのも、本当の話かもしれません。御兄弟で「勝利をのぞみ」を日本に定着させて下さいました。ちなみに『讃美歌21』の歌詞は「ああ、その日を信じて われらは進もう」です。「いつかは其処に、やがて辿り着く」のイメージを私は持ち、勝利の到来が旧讃美歌より遠くに感じます。
アメリカの公民権運動の高まりの根底には、リンカーンの奴隷解放宣言から100年が経っても人種差別が残る現実がありました。あの時奴隷制度は打ち破られたが、しかし自由と平等が全ての人にもたらされているのか。100年前のあの時、天の国は近づき到来していたはずなのに、そうではなかった現実、日常の出来事に、1963年多くの牧師と信徒がワシントン記念塔からリンカーン記念堂へと行進しました。ここで歌われたのが「勝利をのぞみ」です。
キング牧師は「I have a Dream」という演説をしました。
「今から100年前に、私たちがこうしてその像の下に立っているひとりの偉大なアメリカ人が、奴隷解放宣言に署名をしました。・・・しかしそれから100年も経った今も、黒人はまだ自由にはなっていないという悲劇的な事実に直面しなければならないのです。・・・私には夢がある。いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、昔の奴隷の息子たちと、昔の奴隷所有者の息子たちが、一緒に兄弟として同じテーブルに座ることができるようになる夢が。・・・私には夢がある。いつの日か私の幼い4人の子どもたちが、皮膚の色によってではなく、人格によって評価される国に住むようになる夢が。・・・私には夢がある。いつの日かあらゆる谷間は高められ、あらゆる丘や山は低められ、凹凸の場所は平らにされ、曲がりくねった場所はまっすぐにされ、神の栄光が輝いて、あらゆる生き物が一緒にそれを見るようになるという夢が」
イエス様は「天の国が今ここにある」と福音宣言されました。あなたは神様の御支配の中に生きています。あの所にも天の国が来ています。そうイエス様は仰るのですが、イエス様の宣言される声はかき消されているのでしょうか。しかし、天の国はすでに到来しています。イエスは主なり。
