2923年11月26日 降誕前第5主日・収穫感謝日・謝恩日 エレミヤ23:1~6

1「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」と主は言われる。

2それゆえ、イスラエルの神、主はわたしの民を牧する牧者たちについて、こう言われる。

「あなたたちは、わたしの羊の群れを散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった。わたしはあなたたちの悪い行いを罰する」と主は言われる。

3「このわたしが、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす。

4彼らを牧する牧者をわたしは立てる。群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない」と主は言われる。

5見よ、このような日が来る、と主は言われる。

わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。

王は治め、栄え この国に正義と恵みの業を行う。

6彼の代にユダは救われ イスラエルは安らかに住む。

彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。

目次

<説教>「主は我らの救い」

今日は日本キリスト教団では謝恩日と収穫感謝日となっています。

謝恩日は、先日週報でもお知らせいたしましたが、教団の隠退した教師やその家族を覚え、北海教区で始まった「隠退教師を支える運動・100円献金」とともに教団年金を支えるために献金するものです。よろしければご協力ください。

また、今日は収穫感謝日です。これは北米のキリスト教の行事に由来するものです。この世界は神がお造りになり、私たちが食べるものも神から頂いて生かされていることを覚えて感謝したいと思います。

さて、次週からいよいよアドベントが始まります。今週も旧約の預言から私たちの救い主、イエス・キリストに想いを馳せていきましょう。

今日はエレミヤ書です。エレミヤは南ユダ王国のアナトトの出身で祭司の子でした。彼は南ユダ王国のヨシヤ王治世第13年から預言者として主に用いられ、王国の滅亡まで活動しました。

当時の南ユダ王国は北に新バビロニア、南にエジプトという大国に挟まれていました。北のイスラエル王国はアッシリアに滅ぼされましたが、そのアッシリアも新バビロニアに滅ぼされます。

エジプトはアッシリアと組んで新バビロニアに対抗しようとしますが、敗れて新バビロニアに臣従します。南ユダ王国も新バビロニアに臣従していましたが、エジプトにそそのかされて反逆を計画していました。エレミヤは預言によって新バビロニアに歯向かわないようにと説きましたが、聞き入られず、南ユダ王国は滅びます。

今日の聖書箇所の冒頭で、

「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」と主は言われる。

それゆえ、イスラエルの神、主はわたしの民を牧する牧者たちについて、こう言われる。

「あなたたちは、わたしの羊の群れを散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった。

わたしはあなたたちの悪い行いを罰する」と主は言われる。(エレミヤ23:1~2)

とあります。

ここで言われている「牧者」、羊飼いとは南ユダ王国のヨシヤ王の後の王たちです。王とは自分の牧場の主ではありません。あくまでも主、神の牧場の管理を任されている雇われた羊飼いです。

それなのに、彼らは神の民、神の羊たちの世話をせずに追い散らし、顧みなかった。そこで主は王たちを罰するというのです。

今日の聖書箇所の少し前、22章には神が牧者である王たちに呼びかけ警告を与えたのに、王たちが神の呼びかけを無視したことが告発されています。

神はいったい王たちに何を求めていたのでしょうか。22章から紹介します。

「主はこう言われる。正義と恵みの業を行い、搾取されている者を虐げる者の手から救え。

寄留の外国人、孤児、寡婦を苦しめ、虐げてはならない。またこの地で、無実の人の血を流してはならない。」(エレミヤ22:3)

神はこの警告を守るなら王国が続くことを約束されましたが、無視されてしまいました。

王たちは不正義と搾取を行い、搾取されているものを虐げる者の手から救わず、寄留の外国人、孤児、寡婦といった弱い立場の人を苦しめ、虐げ、無実の人を殺して血を流したのです。

また、王たちは他の神々・偶像を拝み、仕え、主との契約を捨てました。(エレミヤ22:9)

エレミヤを通して神は言われます。

「災いだ、恵みの業を行わず自分の宮殿を、正義を行わずに高殿を建て、同胞をただで働かせ、賃金を払わない者は。」(エレミヤ22:13)

「あなたは、レバノン杉を多く得れば立派な王だと思うのか。

あなたの父は、質素な生活をし、正義と恵みの業を行ったではないか。

そのころ、彼には幸いがあった。

彼は貧しい人、乏しい人の訴えを裁き

そのころ、人々は幸いであった。

こうすることこそ わたしを知ることではないか、と主は言われる。

あなたの目も心も不当な利益を追い求め 無実の人の血を流し、虐げと圧制を行っている。」

(エレミヤ22:15~17)

ヨシヤ王は神に立ち返った立派な王でした。彼は質素な生活をし、正義と恵みの業を行い、貧しい人、乏しい人の訴えを裁き、民も王も幸いでした。それこそが神を知ること、神に喜ばれることでした。

しかし、ヨシヤ王の後の王たちは自分の立派な宮殿を立てるために民から搾取し、ただ働きさせ、賃金を支払いませんでした。宮殿を立てるための立派なレバノン杉を得るために富を浪費し、目も心も不当な利益を追い求め、自分の欲望のために無実の人を殺して血を流し、虐げと圧政を行いました。これは主の目に正しくないことでした。

民を虐げ、弱い立場の人、苦しむ人から搾取して自分だけが富み、偽りの繁栄を手にした王たち。

彼らに神は何度も警告を与えました。しかし、彼らは聞き従わなかった。

「お前が栄えていたころ、わたしが何か言うとお前は、「聞きたくない」と言った。

これが、お前の若い時からの態度であった。お前はわたしの声に聞き従ったことはない。」

(エレミヤ22:21)と主は言われます。

主は無慈悲な方ではありません。主は恵みと憐みに富み、弱く、小さくされた人々、虐げられ搾取された人々の味方となり、支配者たちに警告を与えられます。

この世界は神がお造りになりました。この世界はすべて神のものです。しかしそれを忘れ、王や政治家、大企業などこの世の権力者・支配者が好き勝手に人々から搾取し圧政を行うとき、弱い立場の人たちを差別し虐げるとき、国が亡びるのです。

このことは今日の私たちにとっても他人事とは思えません。

同じように、神を無視した政治は今日でも行われているからです。

思えば、ヘブライ人たちが王を求めたとき、神は士師サムエルを通して警告しておられました。

「あなたたちの上に君臨する王の権能は次のとおりである。まず、あなたたちの息子を徴用する。それは、戦車兵や騎兵にして王の戦車の前を走らせ、 千人隊の長、五十人隊の長として任命し、王のための耕作や刈り入れに従事させ、あるいは武器や戦車の用具を造らせるためである。

また、あなたたちの娘を徴用し、香料作り、料理女、パン焼き女にする。

また、あなたたちの最上の畑、ぶどう畑、オリーブ畑を没収し、家臣に分け与える。

また、あなたたちの穀物とぶどうの十分の一を徴収し、重臣や家臣に分け与える。

あなたたちの奴隷、女奴隷、若者のうちのすぐれた者や、ろばを徴用し、王のために働かせる。

また、あなたたちの羊の十分の一を徴収する。

こうして、あなたたちは王の奴隷となる。

その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。

しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない。」(サムエル上8:11~17)

ヘブライ人たちには唯一の神がおられ、神が民を治めてくださっていた。しかし、ヘブライ人たちは他の民と同じように王を求めた。王は神から民を任された、雇われた羊飼いのような存在です。正しく治めるならば民も王も幸せですが、人間はすべて罪ある存在です。王、権力者も例外でなく、自分の欲のため、悪政を行ってしまう。どんな権力者もその治世の始めから終わりまで間違いを犯さないほうが稀です。私たち人間は過ちを犯す存在なのです。

たとえどんな善い人であっても、権力や富を持つと人が変わったようになってしまう。そんな話をよく聞きます。どんな人にも誘惑はつきものです。人の上に立つ人には、自分も間違いを犯すかもしれないと反省する謙虚さが求められます。

南ユダ王国の王たちもまた、神を無視し、国が滅びました。

そこだけ切り取るなら、旧約聖書の神は滅びをもたらす怖い神のように見えます。

しかし、神は滅びだけでなく、回復の希望も与えてくださいます。

「このわたしが、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす。 彼らを牧する牧者をわたしは立てる。

群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない」と主は言われる。

見よ、このような日が来る、と主は言われる。

わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。

王は治め、栄えこの国に正義と恵みの業を行う。

彼の代にユダは救われイスラエルは安らかに住む。

彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。(エレミヤ23:3~6)

主ご自身が再び神のもとへ連れ戻し、正しい牧者、羊飼いを与えてくださる。

その牧者、王とは、すべての人の救い主イエス・キリストです。

ただの人間の王ではなく、神の子、神ご自身が再び私たちの王として立ってくださる。

主はダビデとの約束のために、正しい若枝、救い主を起こす。

クリスマスには「エッサイの根より」という讃美歌をよく歌います。

これはイザヤ書11章にある預言による讃美歌ですが、それと同じ預言がエレミヤを通しても語られているのです。

エッサイとは神に愛されたダビデ王の父のことです。神はダビデとの約束通り、その子孫としてイエス・キリストをこの世界にお送りくださり、すべての人の王としてくださった。

私たちにはすでに真の王、イエス・キリストがおられる。他の王は必要ない。

この方は人間の王のように搾取したり、差別したり虐げたりすることはない。

イエス・キリストは神の国を治め、正義と恵みの業を行ってくださる。

私たちの罪を赦し、神と和解させ、神の民としてくださる。

だから彼は、「主は我らの救い」と呼ばれる。

私たちにとって、王であり救い主は神の子イエス・キリストのみです。

そのような王が、私たちのために生まれてくださったことをお祝いするのがクリスマスです。

神の国、それはこの世界の終わりの時にこの地上においてイエス・キリストが帰って来られることで実現する。そして、神の国は遠いどこかにあるのではなく、すでに私たちの間に始まっている。

次週から始まるアドベントとクリスマスを通して、私たちが励まされ、ますます主を信頼していくことが出来ますように。

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