2025年3月30日 受難節・四旬節第4主日 マタイ福音書17章1~13節

1 六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。 

2 イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。 

3 見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。 

4 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」 

5 ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。 

6 弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。 

7 イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」 

8 彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。

9 一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。 

10 彼らはイエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。 

11 イエスはお答えになった。「確かにエリヤが来て、すべてを元どおりにする。 

12 言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」 

13 そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。

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<説教>「その時イエスが輝いた」杉本和道牧師(真駒内教会)

聖書には、しばしば、限られた人々だけが体験した出来事が書かれています。主イエスと◯◯といったように、ある意味では個人的な体験、秘められた体験のはずの出来事が、敢えて記されます。きっとそれは、公にされることで、それを聞く者、それを読む者に告げ知らせたいことがあるからです。今日、多くの方にお読みいただいた主イエスの山上の変容の物語も、わたしたちに伝えたいことがあるはず。福音書の書き手も、伝えたい何かがあるからこそ、筆をとり書き記したのです。それを読む者、それを聞く者への思いを持って。

マタイ:皆さん、こんにちは、わたしは、福音書を記しているマタイです。主イエスが語られた言葉や、行われた業を書きとめています。そうすることで、主イエスが告げた天の国の到来を皆さんに伝えることになると信じています。今日は、主イエスから直に言葉を聞き、主イエスのそばにおられたペトロさんとヤコブさんからお話を聞く機会を得ました。どんなお話が聞けるのかとても楽しみです。

ペトロ:こんにちは。わたしはペトロです。今日は、皆さんに主イエスについてお話しすることができて幸いです。

マタイ:早速ですがペトロさん、ズバリ聞いちゃいますが、あなたは、主イエスが受難予告をされた時に、「とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」と諌めたそうですね。それは本当ですか。

ペトロ:そうなんです。わたしは主イエスのこと、神が主イエスを通して示してくださった、私たちをいかに愛しておられるかということを、何もわかっていませんでした。「サタンよ、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている」と厳しい言葉で叱られてしまいました。

マタイ:それはかなり厳しかったですね。あなたも、だいぶ凹まれたのではないですか?そして、その六日の後に主イエスに連れられて高い山に登られたのですね。

ペトロ:はい、そうです。わたし以外に、ヤコブとヨハネの兄弟も一緒でした。しばしば、主イエスはこの三人を指名されます。そのとき、とても重要なことが起こるのです。

マタイ:ちなみに、あの厳しい叱責から六日後ですが、あなたは立ち直っていたのですか?

ペトロ:それが、実は、まだまだ引きずっていました。山を登る私の足取りは、自分の失敗への後悔と、他の弟子たちもそうだったのですが、主イエスが「自分はエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている」と言われたことが受け入れられず、とても重かったのを覚えています。

杉本:今日はヤコブさんも来てくれていますが、ヤコブさんも同じでしたか?

ヤコブ(ヤコブ):そうです。同じでした。あの時は、主イエスの十字架の意味も、主イエスが復活するなんてこともわからず、ただただ不安と疑いの中にいました。

マタイ:では、主イエスは、そんな不安と疑い、迷いや悩みを抱えておられた皆さんを、敢えて伴われて山に登られたんですね。そして、そこで、その時、主イエスが輝かれたのですね。

ヤコブ:そう、そうなんです。顔は太陽のように輝きました。

ペトロ:服は光のように白くなりました。驚きました。気がつけば、主イエスがモーセとエリヤと語り合っておられるのです。

マタイ:モーセとエリヤ!?そのお二人は、それぞれ律法と預言者をあらわすお二人ですね。さらに言えば、律法と預言者、つまり聖書そのものですね。

ペトロ:そうです。輝く主イエスと「律法」と「預言者」が語り合うのを見ていると、まるで神の救いの歴史がそこにあるようで興奮しました。

ヤコブ:そういえばペトロさん、興奮し過ぎてまた余計なことを言っていましたよね。

ペトロ:お恥ずかしい…。あの時は、この素晴らしい光景が消え失せないように、ずっと続いてほしいと思って、「仮小屋を三つ建てましょう!」と言ってしまいました。

マタイ:実際には建てたりしなかった?

ペトロ:そうです。今思えば、神さまの救いを私が(人間)が留めよう、自分の思い通りにしようなんておこがましいですよね。

ヤコブ:私たちが喜びに包まれていたら、そのあと光り輝く雲に覆われたんです。

マタイ:光り輝く雲とは素晴らしい。イスラエルの民が荒れ野を旅する間、雲が民とともにありました。ソロモン王がエルサレム神殿を建設したときも主の栄光を表す雲が主の神殿に満ちました。雲は、聖書において、目に見えぬ神が共にいてくださるシンボル(臨在のシンボル)ですもんね。

ペトロ:しかも、その雲の中で声を聞いたんです。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」との声を。

マタイ:それは、主イエスがヨルダン川で洗礼を受けられたときにお聞きになった呼びかけを思い起こさせますね。主イエスの歩まれる道、十字架への道が神の御心に適っていたということでしょうか。

ヤコブ:そうです。エルサレムでの十字架の死、三日後の復活、そしてペンテコステ(聖霊の降臨)を経験した今となっては「そうだ」と確信しています。主イエスの受難の道は、神の子、主の従う者としての道だった、と。

ペトロ:けれどもあの時は、わたしたちは主イエスの思いを何もわかってはいなかった。わかっていなかったから、わたしたちは主の受難のとき、主イエスを裏切り見捨てて逃げました。

ヤコブ:わたしも自分の不甲斐なさに涙がこぼれましたが、ペトロさんは、大泣きしましたよね。

マタイ:あ、いつもペトロさんがおっしゃる、「主は、わたしの弱さをご存知だった。ご存知の上で受け止めていてくださった」で始まる、「ペトロ、鶏鳴く前に三度」の話ですね。あれは、聞くたびに心が熱くなります。

ペトロ:お恥ずかしい。でも今思えば、雲の中で響いた神の声がわたしの中でいきているんです。今も響いているんです。

マタイ:神の声がいきている?

ペトロ:そうです。光り輝く主イエスと共に包まれた雲の中で聞いた神の声、その声は最後に、「これに聞け」と呼びかけたのです。この「聞く」は、ただ声を耳で聞くと言う意味だけでなく、「聞き従うこと」だったと思うのです。

ヤコブ:そうそう、申命記の18章15節などでも言われているでしょ。「聞き従うこと」、「実際に行動していくことの大切さ」ですよね。

マタイ:つまりお二人は、山の上で光り輝く主イエスの姿を思い出すとき、まず、主イエスの受難を思い出す。そして、受難にとどまらず、その先、我々に新しい道を示す主の復活を思い出し、その道を生きていこうとされている。

ペトロ:そうです。光り輝く主イエスの姿と「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」との声はわたしを勇気づけます。主イエスが山の上で光り輝く前、受難予告で語られた、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」を「よし、やっていこう」との気持ちにしてくれるんです。

マタイ:それでお二人は、苦しみの中にあっても素敵な笑顔を失わないんですね。本当に今日は、大切なお話を聞くことができました。この出来事は、わたしが記す福音書に載せたいと思います。ありがとうございます。

ペトロ・ヤコブ:こちらこそ、ありがとうございます。

ヤコブ:多くの人が福音書を読んで神の愛に気がついてくれるといいですね。

ペトロ:わたしたちが聖霊に支えられて立ち上がったように、後の人々も神の愛によって支えられ立ち上がれると信じています。

マタイ:お話を聞くことで「主イエスが光り輝いた」この出来事は、神の愛の現れだと確信しました。神は、主イエスの受難の意味をあらかじめ伝えていてくださいました。私には、この「山上の変容」の物語を思い出しながら、話してくれるお二人の顔が、どんどん輝いていくように思えました。

神の愛は、今も働いてくださっています。聖書を通して、後の世に生きる、キリストの跡に続こうとする人々のことをも、神は導いてくださいます。そのことに感謝して共に祈りをささげましょう。

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