2025年9月14日 聖霊降臨節第15主日 列王記上 3章4~15節

王はいけにえをささげるためにギブオンへ行った。そこに重要な聖なる高台があったからである。ソロモンはその祭壇に一千頭もの焼き尽くす献げ物をささげた。 その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。ソロモンは答えた。「あなたの僕、わたしの父ダビデは忠実に、憐れみ深く正しい心をもって御前を歩んだので、あなたは父に豊かな慈しみをお示しになりました。またあなたはその豊かな慈しみを絶やすことなくお示しになって、今日、その王座につく子を父に与えられました。 わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。 僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。 どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」

主はソロモンのこの願いをお喜びになった。 神はこう言われた。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。 見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。 わたしはまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない。 もしあなたが父ダビデの歩んだように、わたしの掟と戒めを守って、わたしの道を歩むなら、あなたに長寿をも恵もう。」

ソロモンは目を覚まして、それが夢だと知った。ソロモンはエルサレムに帰り、主の契約の箱の前に立って、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ、家臣のすべてを招いて宴を張った。

目次

<説教>「賢明な心」

今日は旧約聖書に出てくる、知恵ある王として有名なソロモンが、若い頃、王になったばかりの頃のお話です。彼はダビデとバト・シェバの子で、異母兄弟との血なまぐさい後継者争いに謀略をもって打ち勝ち、古代イスラエル王国の三代目の王となりました。

彼は、エジプトのファラオの娘と結婚し、父ダビデには許されなかったエルサレム神殿の建設を成し遂げ、諸外国との貿易や政略結婚などによって王国を栄えさせ「栄華を極めたソロモン」(マタイ6章29節、ルカ12章27節)と称されるようになりました。

彼の知恵を示す有名な話として、こんな話があります。ある二人の女性が一緒に住んでいて、それぞれに赤ん坊が生まれました。しかしある時、一方の赤ん坊が死んでしまいました。

すると赤ん坊を亡くした母親は、生きている方が自分の赤ん坊だと主張します。

見ていた人はおらず、どちらが本当の母親か証明できる人はおりません。

そこで2人の女性はソロモン王に訴え出ます。当時の王は裁判官の役目も務めていたのです。

話を聞いたソロモンは剣を持ってこさせ、赤ん坊を真っ二つに裂いて二人に与えよと命じます。

本当の母親は子どもを哀れに思って、「絶対に殺さないで、生かしたままこの人にあげてください」と言い、もう一方の女性は「裂いて分けてください」と言いました。そこでソロモンは赤ん坊を生かすことを望んだ女性こそが本当の母親だと見抜いたというお話です。

このことを聞いた人々は、まだ若いソロモン王を畏れ敬うようになりました。

こうした彼の知恵はどこから来たのか。それは神さまから来たのだ、というのが今日のお話です。

エルサレム神殿がでた後、ヨシヤ王の申命記改革によって祭儀が中央集権化される前までは、あちこちに神さまを祭る聖所がありました。その一つ、ギブオンという所にあった聖所でソロモンが神さまに生贄を献げた時のことです。1,000頭もの莫大な献げ物ですから、ソロモンが神さまを大切に思っていたことがうかがえます。すると、その夜、神さまが彼の夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われました。

聖書の中でも、このように神さまが言われるのは他には見られません。「なんでも願いが叶う」としたら…。誰でも一度は考えたことがあるのではないでしょうか?私も役者をしていたときは、小さな劇場のオーナーに成れたらな、なんてよく夢想したものです。

まぁ、私の望みなんてささやかなものですが、王であるソロモンは何を望んだのでしょうか?

より大きな権力でしょうか、敵対者の破滅でしょうか、より多くの財産でしょうか、永遠の命でしょうか…。ソロモンは言いました。

「あなたの僕、わたしの父ダビデは忠実に、憐れみ深く正しい心をもって御前を歩んだので、あなたは父に豊かな慈しみをお示しになりました。またあなたはその豊かな慈しみを絶やすことなくお示しになって、今日、その王座につく子を父に与えられました。 わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。 僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。 どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」

ダビデは神さまの前に遜り、自分自身の幸せではなく、神さまから与えられた王という職務の責任を果たすことのできるために、聞き分ける心を求めました。聞き分ける心とはどのようなものでしょうか。ソロモンがその著者の一人とされる旧約聖書の箴言には「主を畏れることは知恵の初め」(箴言1章7節)と言われています。遜って神さまの御心を求めて行く姿勢、「主をお話しください、僕は聞いております」(サムエル上3章9節)のように、自分がどうかではなく、主の御心を聞き求めて行くような心のことだと思います。それは神さまの御心にかなった答えでした。神さまはソロモンに答えます。

「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。 見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。 わたしはまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない。 もしあなたが父ダビデの歩んだように、わたしの掟と戒めを守って、わたしの道を歩むなら、あなたに長寿をも恵もう。」

自分の欲ではなく、他者のために、神さまの御心を聞き分けられる心を求めたソロモンは、神さまから知恵に満ちた賢明な心という最も良いものを与えられました。そしてそれだけでなく、自分が求めなかった富も栄光も長寿も与えられました。

このことは、イエスさまが教えてくださった教え、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタイ6章33節)に通じるものを感じます。

また、「何でも与えよう」というのは、イエスさまが荒れ野でサタンから受けた誘惑とも似ているように思います。サタンの誘惑はどれも、自分の欲望を満たそういうものでした。しかし、イエスさまはソロモンと同じように、自分のための欲望を満たすことを退け、神さまを信頼し、神さまに従う道を選んだのです。私たちもソロモンのように、イエスさまのように、神さまの御心を聞き分ける心、賢明な心を求めて行きたいと思わされます。

また、このソロモンの姿は為政者、権力者のあるべき姿を示しています。今日のソロモンとは反対に、為政者、権力者が他者のために働くという自分の職務を放棄して、自分の長寿を求め、富を求め、敵の命を求め、自分の要望を満たすことを望むなら、それは神さまの御心に反することになり、その先には他者を巻き込んだ悲惨な結果が待っていることでしょう。

正しいものをもとめた賢い王、ソロモン。しかし、このことは今日の前の箇所を読んだことのある人や、ソロモン王の末路、そしてその王朝の末路を知っている読者からすれば、皮肉にも感じます。ソロモンは王位を継ぐために、自分の異母兄弟を含む、たくさんの政敵の命を奪いました。また、彼はその王国が栄えるにつれて、「王は馬を増やしてはならない。馬を増やすために、民をエジプトへ送り返すことがあってはならない。「あなたたちは二度とこの道を戻ってはならない」と主は言われた。王は大勢の妻をめとって、心を迷わしてはならない。銀や金を大量に蓄えてはならない。」(申命記17章16~17節)という神さまの掟と戒めを破り、軍備を増やし、自分の宮殿や神殿建設のために民を抑圧し、大勢の妻をめとって神さまから離れてしまいました。そしてソロモンの死後、圧政に苦しんだ民の反乱によって彼の王朝は分裂し、最後には外敵のために滅びていきました。

私たち人間は、神さまではありません。一時正しい判断が出来たとしても、それを続けていくことは難しい。特に、上手くいっている時こそそうなのだと、ソロモンの例から思わされます。調子が良い時、私たちはしばしば神さまのことを忘れてしまいます。ソロモンの例を反面教師に、絶えず謙虚に、賢明な心を求め、神さまに従って行く道を選び取っていくことができますように。

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