2024年3月17日 受難節・四旬節第5主日 札幌地区オンライン合同礼拝(真駒内教会より配信)・世界祈祷日礼拝 ヨハネによる福音書 16章31~33節

31 イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。

32 だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。

  いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。 

33 これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。

  あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」

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<説教要旨>「絶望的だけど、そう思わせない人々」山本光一 牧師

 今日(3月17日)で、10月7日から始まった「戦争」から163日が経った。

 10日前の統計であるが、ガザ地区だけで38,066人が亡くなり、71,220人が負傷し、死者の92%が一般市民であり、その3分の1が子どもたちである。34万件の住宅、406の学校、1920の工場、28の病院、65の診療所、613のモスク、3つの教会が破壊され、居住地から避難を余儀なくされている人々は200万人を越え、住む場所が無く、食料が無く、水が無く、医薬品がない。これを「戦争が起こっている」と言うべきなのか。わたしは「イスラエルによる虐殺が起こっている」と言うべきだと思う。

 パレスチナには2種類の人たちが居る。「国を防衛するのだ」と徴兵され、しかし、パレスチナ市民を射殺するだけのイスラエル兵。孫が生まれたと喜ぶパレスチナ人。この二人はイスラエルという、とてつもなく非人道的な国家の占領政策に翻弄されて、青年らしさを失ったイスラエル兵は抑圧者の憂鬱を帯び、孫の誕生を喜ぶパレスチナ人は抑圧からの解放への熱情を帯びている。パレスチナに行く度に不思議に思うことがある。ユダヤ人街と違ってパレスチナ人街は圧倒的に明るく、親切なのだ。

 パレスチナ人が大切にしている「アル・ハムドゥリラー」という言葉がある。「アッラーの神に栄光あれ」と訳される言葉だが、わたしは主の祈りの最後の言葉である「国と力と栄とは、限りなく汝のものなればなり」と理解している。国はイスラエルに占領され、圧倒的なイスラエル軍の武力に支配され、経済は疲弊しているが、国も力も栄も、限りなくイスラエルのものではなく、今この時も神のものである。どんなに絶望的な状況に在っても希望を失わない根拠がここにあると思う。

 日本にいるわたしたちが、今、しなければならないことは、国際世論で非人道的イスラエルの占領政策と虐殺行為を止めさせること。そして、人道支援であると思う。

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