2024年7月7日 聖霊降臨節第8主日 使徒言行録 24章10~21節

10 総督が、発言するように合図したので、パウロは答弁した。「私は、閣下が多年この国民の裁判をつかさどる方であることを、存じ上げておりますので、私自身のことを喜んで弁明いたします。 11確かめていただけば分かることですが、私が礼拝のためエルサレムに上ってから、まだ十二日しかたっていません。

12 神殿でも会堂でも町の中でも、この私がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを、だれも見た者はおりません。

13 そして彼らは、私を告発している件に関し、閣下に対して何の証拠も挙げることができません。 14しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。

15 更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。

16 こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。

17 さて、私は、同胞に救援金を渡すため、また、供え物を献げるために、何年ぶりかで戻って来ました。

18 私が清めの式にあずかってから、神殿で供え物を献げているところを、人に見られたのですが、別に群衆もいませんし、騒動もありませんでした。

19 ただ、アジア州から来た数人のユダヤ人はいました。もし、私を訴えるべき理由があるというのであれば、この人たちこそ閣下のところに出頭して告発すべきだったのです。

20 さもなければ、ここにいる人たち自身が、最高法院に出頭していた私にどんな不正を見つけたか、今言うべきです。

21 彼らの中に立って、『死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ』と叫んだだけなのです。」

目次

<説教>「私たちの希望」

今日は、異邦人への使徒パウロが、ローマの総督のもとで裁判にかけられている場面です。

パウロは現在のシリア、トルコ、ギリシャ、そしてローマにかけて宣教し、最後にはローマで殉教しました。

これは、パウロの最後の旅での出来事です。当時、エルサレム周辺を酷い飢饉が襲っていたようで、パウロ一行は、各地の教会で集めた救援金をエルサレム教会に届けるためにエルサレムへと赴きます。そして、当時の教会の指導者だったイエスの兄弟ヤコブを訪ねると、そこには教会の長老たちが集まっていました。

パウロから宣教の報告を聞き、主をたたえた長老たちだったが、パウロに注文をつけます。

ユダヤ教からの改宗者たちがパウロについて長老たちに讒言をしていたのです。

当時の教会では、ユダヤ人でイエスをキリストと信じるようになった人々が多かったようです。

彼らは、ユダヤ人として、それまでの習慣や掟である律法も熱心に守っていました。そして、異邦人がキリスト者になっても、律法を守らなければ救われないと考えていたようです(使徒15:1)。そんな彼らにとって、律法を重視しないパウロは、面白い存在ではなかったのです。

あいつは、「異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えている」(使徒21:21)。とんでもない奴だ!

イエス・キリストや12弟子と同じように、パウロもユダヤ人で、もともと熱心なユダヤ教徒。

ファリサイ派というグループに属していました。そして彼らにとって、異端に見えるキリスト教を熱心に迫害していました。彼のせいで命を失った人もいたのです。しかし、復活したイエスに出会い、変えられ、異邦人、ユダヤ人以外の人々に宣教する使徒となりました。

彼は異邦人に宣教するにあたって、ユダヤ人たちが大切にしていた掟、習慣、律法を守ることよりも、イエス・キリストへの信仰や愛の実践が大切であることを教えました。それは、イエス・キリストの十字架の死と復活によって、救いは全ての人に開かれたと確信したからです。救いは律法を守るという行いによるのではなく、神からの恵みによるもの。救われるために善いことをするのではなく、救われたのだから神の民として善いことをしようと教えたのです。パウロはキリスト教徒を迫害し、殺害に加担していました。そのような罪人をも神は救い、福音のために用いてくださった。それがパウロの信仰です。

パウロは異邦人にユダヤ教の習慣を強制することには徹底的に抵抗しましたが、一方で、ユダヤ人キリスト者が律法を守ることまでは反対していなかったようです。だから、「異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えている」というのは、明らかなデマでした。そして、パウロが異邦人に律法を守らなくてもよいとしたことは、以前に主の兄弟ヤコブや他の使徒たちとも相談し、了解済みのことでした(使徒15:28~29)。

しかし、ヤコブや長老たちは、教会内の対立を避けるため、パウロがユダヤ人としての習慣を守っていることを、他のユダヤ人キリスト者に示すように要求します。

当時はまだ、エルサレム神殿が健在であり、エルサレムのキリスト者たちも神殿で礼拝していました。ユダヤ人たちは、異邦人と交わりを持つと「汚れる」と考えていたので、パウロに7日間の清めの式を勧め、神殿で礼拝するようにと言うのです。

パウロのエルサレム訪問の目的は、自分が宣教した諸教会からの救援金をエルサレム教会に届けるためでした。これは、パウロとエルサレム教会の間の取り決めでもあったようですが(ガラテヤ2:10)、彼の異邦人宣教の正当性をエルサレム教会に示すためでもあり、また、異邦人の教会とユダヤ人の教会の交わりと絆を深め、教会の一致を表す機会でもあったのだと思います。

パウロの宣教スタイルは柔軟で、ユダヤ人にはユダヤ人のように、異邦人には異邦人のように接していました。パウロ自身は、律法は廃棄された、もしくは愛によって完成されると考えていましたが、問題を避けるために、長老たちの提案に従いました。彼の柔軟な姿勢が読み取れます。

しかし、このことは残念な結果を招きます。パウロはアジア、現在のトルコを中心に宣教していました。そこには、多くのユダヤ人も住んでいました。彼らは、異邦人と親しく交わり、ユダヤ人らしくしないパウロを苦々しく思っていたようです。

そうしたアジアから巡礼に来たユダヤ人たちが、神殿の境内でパウロを見て、パウロを迫害するために人々を扇動しました。「ギリシャ人を神殿に連れて入り、聖なる場所を汚した!」

パウロはユダヤ人として、習慣を尊重する姿を見せようとしていたのですから、これは彼らの勘違いだったのですが、怒り狂った彼らはパウロを捕らえ、打ち、殺そうとしました。

神は、イエス・キリストによって隔ての壁を打ち壊されたのに…。ここに、民族主義の弊害が見て取れます。この偏狭さがイエス・キリストを十字架につけたのです。このアジアから来たユダヤ人は、もしかしたら教会の長老に訴えた、改宗したユダヤ人だった可能性もあります。いつの時代も、民族主義は私たちを愛であるキリストに背かせる原因となります。

もちろん、彼らの怒りにも理由がありました。彼らの祖先は、神との契約である律法を守りませんでした。その結果、国は滅び、民は散らされて他国で捕囚となりました。その過去から、律法を守ることに熱心になったのです。しかし、その熱心さは間違った熱心さでした。神が律法を与えたのは、人々が互いに愛し合い、幸福に暮らすためでした。律法の要点は、「隣人を自分のように愛しなさい」という事であり(ローマ13:9)、愛がなければ無に等しいのです。

人々から暴行を受けて殺されそうになるパウロ。その騒動を聞きつけて、暴動を恐れたローマ帝国の千人隊長(クラウディウス・リシア、23:26)らが事態の鎮静化のために駆けつけ、パウロを救い出します。

そして、一体何事かと人々に問いますが、彼らはそれぞれ違うことを口々に叫びます。パウロに罪はなく、人々は思い込みで、もしくは悪意を持って、真実からではなく、パウロを非難したのです。

これは今日でもよく見かける光景です。外国人差別、ヘイトスピーチ、誹謗中傷。その多くは根拠のない悪意や思い込みが原因です。

これではらちがあかないと、千人隊長はパウロを尋問するために、兵営へと連れていきます。

なおも「その男を殺せ!」と叫びながらついてくるユダヤ人たち。神は「殺してはならない」と言っておられるのに…。

パウロは当時の公用語であったギリシャ語で千人隊長の許可を得、ユダヤ人の言葉であるヘブライ語で人々に弁明しました。熱心なユダヤ人で、キリスト教の迫害者であった自分が、いかにしてイエス・キリストと出会い、回心し、異邦人への宣教者になったかを。そして神が異邦人を救うことを。

しかし、人々は聞いても受け入れず、パウロの死を望みます。民族主義に凝り固まっていた彼らには、異邦人への救いなど到底受け入れられなかったのです。彼らは神の思いを受け入れられず、自分から神から離れてしまいました。

さて、千人隊長は真相を知るために、ユダヤ教の宗教的な権威があり、ローマ帝国との交渉するための機関であった最高法院で、パウロに弁解の機会を与えます。パウロは、最高法院の一部がサドカイ派とファリサイ派で構成されているのを見て取ると、自分は「死者の復活に望みをかけているファリサイ派で、そのために裁判にかけられている」と訴えます。

ファリサイ派は市井の宗教家が中心で、復活や霊や天使を信じていましたが、サドカイ派は貴族や祭司が中心で、復活も霊も天使も信じていませんでした。パウロの目論見通り、ファリサイ派とサドカイ派の間で論争が起き、収拾がつかなくなって、パウロは兵営に戻されます。その後、一部のユダヤ人がパウロを暗殺する陰謀を企てますが、事前に露見し、パウロは身柄を守るためにカイサリアという都市にいたローマ総督フェリクスのもとへ送られ裁判を受けることになります。

フェリクスのもとへ、エルサレム神殿の大祭司アナニアと長老数人、テルティロという弁護士が来て、パウロの有罪を訴えます。その中身は、①パウロは疫病のような存在で、世界中のユダヤ人の間で紛争を引き起こし、ローマ帝国の平和を脅かしている。②ナザレ人らの分派の首謀者、③神殿を汚そうとした。というものです。

総督が訴えに対して、パウロに発言を促します。

パウロは、「わたしが礼拝のためにエルサレムに来てから、まだ12日しか経っていない。そしてその間、神殿でも、会堂でも、町の中でも、わたしが誰かと論争したり、群衆を扇動したりするのを見たものは居ない。彼らは、わたしを訴えていることについて立証できない」と弁明します。

彼はユダヤ人キリスト者の反感を抑えるため、主の兄弟ヤコブや教会の長老たちの提案を呑み、エルサレムに来てからは、ユダヤ人らしく振舞っていました。だから、祭司長らの訴えには証拠がありませんでした。

ローマ帝国の総督の関心は、彼がローマに対する反逆者かどうかでした。しかし、ふたを開けてみれば宗教上の対立であり、パウロに死に値するような罪はありません。それにパウロはローマ市民権を持っているので、下手に扱うことは出来ません。しかし、ユダヤ人が暴れても面倒だと思ったのでしょう。総督は裁判を延期し、結論を棚上げにします。

パウロはこの裁判の中で言います。

「確かに、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って先祖の神を礼拝している。そして律法に即したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じている。」

「この道」とは、イエス・キリストの説いた愛の道。これはユダヤ人たちは分派と呼ぶが、自分たちにとってはこちらこそが本流なのだ。律法も、預言者も、すべての人の救い主、神の子であるイエス・キリストを指し示しているのだから。

パウロはエルサレムで、対立を避け、教会の一致を守るため、ユダヤ人として、ユダヤ人らしく振舞おうとしました。だから、この裁判の場で、自分の身に災いが及ばないように、イエスを否定するという手もあったかもしれません。イエスが十字架にかけられるために捕らえられた時、一番弟子だったペトロもイエスを否定しました。私たちも、そのような迫害にあったら、同じことをしたかもしれません。パウロにも殺されそうな苦難の中で、もしかしたらそうした誘惑があったかもしれません。いまこの場だけ、ごまかせば…。しかし、パウロはそうしませんでした。なぜでしょうか。

パウロは私たちキリスト者の希望について語ります。

「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。」

パウロの、そして私たちの希望は、正しい者も正しくない者も、どんな人も、イエス・キリストが帰って来られるときに復活させられて神の前に立たされるということです。ユダヤ人やローマ人たち、迫害者はパウロの体を殺すことができる。しかし、彼らは魂までは殺すことができない。そして復活を邪魔することも出来ない。正しい者も正しくないものも、皆、最後には神の前に立たされる。そして、自分の行いについて、神に申し開きをすることになる。だから、たとえ命を失っても、迫害されても、イエス・キリストを否定することは出来ない。イエス・キリストを信じる自分の命は、イエス・キリストのものだから…。

迫害の中で、パウロを支えていたのは、「復活」という希望でした。この復活という希望が、私たちの希望です。自分は良心に従い、何も悪いことはしていない。たとえ相手がどんなに強大で、どんなに理不尽であっても、確かに神はおられ、私は見捨てられていない。神は必ず、私の生涯を意味あるものにしてくださる。だから最後まで、イエス・キリストに従っていく。

このパウロの姿は力強く、私たちを励ましてくれます。しかし、同時に強すぎて、自分とは縁遠いなと思う方もおられるかもしれません。私もそうです。でも、パウロもきっと初めから強かったわけではありません。彼の手紙を読むと、たくさんの苦労と涙に磨かれた様子が見て取れます。  本当は彼も決して強いわけではない。何度も自分の弱さに絶望しそうになったことでしょう。でも、彼はきっと、自分ではなく、神を信頼したのだと思います。

彼はキリスト教の迫害者でした。キリスト教徒の命を奪った人でした。しかし、そのような者でさえ、神は赦してくださる。用いてくださる。正しい者だけでなく、正しくない者ですら、救ってくださる。たとえ自分自身のことは信頼できなくても、神は信頼できるお方。そのことが、彼を支え、その終わりまで、イエス・キリストの愛の道を歩ませたのだと思うのです。

私たちも神を信頼し、希望をもって、この道を歩んでいくことができますように。

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