33 夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めた。
「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。
34 だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。
あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」
35 こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、
それを裂いて食べ始めた。
36 そこで、一同も元気づいて食事をした。
37 船にいたわたしたちは、全部で二百七十六人であった。
38 十分に食べてから、穀物を海に投げ捨てて船を軽くした。
39 朝になって、どこの陸地であるか分からなかったが、砂浜のある入り江を見つけたので、
できることなら、そこへ船を乗り入れようということになった。
40 そこで、錨を切り離して海に捨て、同時に舵の綱を解き、風に船首の帆を上げて、
砂浜に向かって進んだ。
41 ところが、深みに挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、
船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだした。
42 兵士たちは、囚人たちが泳いで逃げないように、殺そうと計ったが、
43 百人隊長はパウロを助けたいと思ったので、この計画を思いとどまらせた。
そして、泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、
44 残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令した。
このようにして、全員が無事に上陸した。
<説教> 「何か食べてください」
先週に続いて、今日の聖書箇所もパウロが経験した物語です。
久しぶりに帰ったエルサレムで、ユダヤ人の敵意にさらされ、ローマ帝国の治安を乱すとして訴えられ、ローマの総督のもとで裁判にかけられるパウロ。しかし、彼は無実であり、また、ローマ市民権を持っていたため、ローマ皇帝に上訴することにしました。それは、「ローマで証しをする」という神さまからの使命のためでもありました(使徒言行録23章11節)。
ローマ帝国直属の百人隊長ユリウスに護送され、イエスラエルからローマへと向かうパウロ達。
エジプトのアレクサンドリアからイタリアへと向かう船に乗り込みました。これは、穀物を運ぶ輸送船だったのでしょう。当時、イタリアの食料はエジプトから輸入される小麦に頼っていました。
古代ローマの船と言うと、オールを並べた手漕ぎ船のガレー船が有名だと思います。しかし、ガレー船は人がたくさん載るため、荷物を積む空間が少なくなってしまいます。だから、輸送船は帆に風を受けて進む、帆船が主だったようです。パウロ達が乗ったのは、おそらく、三本マストのポンタ船(外洋船)と呼ばれる大きな船でした。
しかし、季節は冬に向かっており、航海に向いた季節ではなく、風に悩まされ、思うように船が進みません。そこで、迂回して、地中海に浮かぶ東西に細長く延びた大きな島(ギリシャの南、東西に約260㎞、広島県ほどの広さ)、クレタ島の島影、南側を通っていくことになりました。ようやくクレタ島の「良い港」と呼ばれる場所に着いた一行。
ユダヤ教の断食日を過ぎていたので、「皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大の損失をもたらすことになります」(使徒言行録27章10節)と、パウロは危険を警告します。
ユダヤ教の「贖罪の日」は9~10月ごろ。9月中頃以降の航海は危険であり、また、11月から3月にかけての冬の間は、4世紀のローマの戦記作家ウェゲティウスによると「海が閉ざされる」と記されており、また、紀元前1世紀ごろの哲学者キケロも1~3月の船旅への心配を記しており、航海には不向きな季節でした。パウロは航海の専門家ではありませんが、彼は何度も宣教旅行に出かけており、地中海に関する知識があったようです。
しかし、そこは小さな場所だったのでしょうか、船主や船長は、そこは冬越しするのに適した場所ではないと主張します。責任者であるローマの百人隊長は、パウロの意見よりも彼らを信用し、また大多数の意見でもあるので、80㎞西にある、クレタ島のフェニクス港に移動し、冬を越すことにしました。
ときに南風が静かに吹いてきて、望み通りの進みそうだったので、彼らは錨をあげてクレタ島に沿って西へと出港します。
しかし間もなく、クレタ島にある、2000m級の山々から吹き下ろす暴風、「北東風」を意味するエウラキロンが吹き付けてきて、船は思うように進むことができなくなり、漂流してしまいます。
人々は積み荷や船具を捨てて荷を軽くしたり、できる限りの手を尽くしますが、幾日も太陽や星も見えないような暴風が続きます。
今日では必須の航海道具、羅針盤・コンパスの発明は11世紀の中国でのこと。まだこの当時は星や太陽から方角を判断していましたけれども、悪天候のため見つけることができず、彼らは自分がどこにいるのかわからなくなってしまいました。もうだめだ、助からない。人々は絶望的になっていました。逆風や嵐と言うのは、私たちの人生の中で遭遇する困難にたとえられます。ある人の忠告を聞き入れず、良さそうな道を選んだけれども、何一つ自分の思い通りにならず、先が見えない、将来が見えない、そのような困難に遭遇することはよくあるのではないでしょうか。
パウロは人々に語りかけます。
「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。 わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』 ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」(使徒言行録27章21~26節)
パウロは神さまのことを信頼していました。自分の使命は「ローマ皇帝の前に出て、イエス・キリストの出来事を証しすること」。だから、それまで自分は死ぬことはない。それだけでなく、一緒に航海しているすべての者のことも、神さまはパウロに任せてくださったのだから、あなたたちの誰一人、命を失うものはいない。だから、神さまを信頼して元気を出しなさい、と言うのです。
面白いな、と思うのは、パウロが「わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです」と言う言葉です。私たちは嵐の中にあって、どこにたどり着くかは分からない。けれども、神は必ずどこかへたどり着かせてくださるのです。
その後、真夜中になって、船が陸地に近づいたようです。しかし計ってみると、どうやら大きな船にとっては水深が足りず、座礁して動かなくなってしまいそうです。そこで錨を下ろして流されないようにし、朝を待つことにしました。ところが、船員たちは夜のうちに、こっそり自分たちだけ小舟で逃げようとしました。パウロの言葉を信用せず、自分たちだけでもなんとか助かろう、そう思ったのです。
パウロは百人隊長と兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない」と告げます。ローマ兵たちは陸の戦いは得意ですが、海での戦いは不慣れだったと言います。船の専門家である船員たちがいなくなってしまったら、どうしていいか分からなかったことでしょう。ローマの兵士たちは小舟を繋いでいた綱を切り、小舟は流されてしまいました。さあ、脱出用の小舟はなくなりました。もうだれも漂流する船を降りることは出来ません。
夜が明け始めました。このとき、14日もの間、人々は食事をとっていなかったと言います。
穀物を運ぶ船だったので、食べる物はあったはずです。もしかしたら、それぞれが信じる神々に助かることを祈って断食していたのかもしれません。もしくは、嵐の中で、とてもじゃないけれど食事をする気持ちになれなかったのかもしれません。
パウロほどではないにしても、私たちも嵐の中の暗闇のような困難の中で、食事などの日常の生活が疎かになってしまうということは、良くあることなのではないでしょうか。私も昔、役者をしていた時、将来のこと等、様々なことが不安で、食事や身の回りのことが疎かになった時があります。心が弱ると、食事する気が起こらない。そういうことがあるのではないでしょうか。
けれども、どんな困難な時でも、止まない嵐はなく、どんなに暗闇に見える時でも、明けない夜はない。必ず夜明けがやってきます。神は必ず、「逃れる道」を用意してくださっているとパウロは語っています(Ⅰコリント10章13節)。
夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めます。
「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。
だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。
あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」
私たちが生きるためには何か食べることが必要です。食べること、それは日常的なことで、時に疎かにしてしまいます。けれども、食べる物や、食べることは神さまが私たちに与えてくださったことです。私たちの救い主、イエスさまの教えてくださった「主の祈り」では「日毎の糧を今日も与えてください」と祈ります。神さまは私たちの必要をご存じで、その必要を満たし、生かしてくださいます。苦しい時、困難の中にいるとき、心に余裕がない時、何か食べてください。私たちも、一緒に何か食べましょう。そしてそこから始めましょう。食べて、生きましょう。
パウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めました。
この、パンを取り、神さまに感謝の祈りをささげてから、裂いて食べる、という行為は、私たちキリスト者にとってはイエス・キリストの死と復活を記念し、そして私たちの罪の赦しを実感するために行っている聖餐式を思い起こさせます。また、同時に、この行為はユダヤ人たちの日常の食事の風景でもありました。日常の食事風景を通して、神さまやイエスさまが、私たちと共に居られる。私たちは生かされているのだということを感じるのです。また、一緒に食事をする、というのも大切なのだと思います。イエスさまは「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もそのなかにいる」(マタイ福音書18章20節)と言っておられます。
パウロが率先して食事をしました。そうだ、食べよう。食べていいんだ。そこで、船にいた一同、276人が元気づいて食事をします。そして、十分に食べてから、積み荷である穀物を海に投げ捨てて船を軽くしました。彼らは嵐の中でも、積み荷である穀物は最後まで捨てませんでした。しかし、最後には命を優先します。大切だと思っていたもの、捨てられないと思っていたものも、本当に大切なものが見つかった時には捨てられる、そんなこともあるのではないでしょうか。
さて、朝になって、どこの陸地であるか分からなかったが、砂浜のある入り江を見つけたので、
できることなら、そこへ船を乗り入れようということになりました。 ところが、船が浅瀬で座礁し動けなくなり、激しい波で壊れ始めてしまいました。
兵士たちは、囚人たちが泳いで逃げないように、殺そうと計りますが、百人隊長はパウロを助けたいと思ったので、この計画を思いとどまらせます。そして、泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、
残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令し、全員が無事に上陸することができました。神さまがパウロに言われたことがこうして実現しました。
この物語は、困難の中でも神の御計画は実現することを教え、神さまを信頼することを教えています。しかし、それだけでなく、神さまは私たち人間を通して働かれるのだということにも注目したいと思います。神さまは船に乗った一同をパウロに託しました。パウロは神さまを信頼し、その期待に応えました。それは誰かだけが船から逃れたりするのではなく、一同が助け合うという方法によってでした。泳げないものは船の乗組員につかまって泳ぎました。もし、彼らが自分だけ小舟に乗って逃げていたら、この泳げない人たちは助からなかったでしょう。また、神さまは船の材料である板切れを与えて下さっており、それにつかまって岸までたどり着くことができました。
神さまはどんな困難な時でも、日常の中の食事を通して元気を与え、ともに助け合う仲間や材料を与えてくださっている。私たちは一人ではない。主が共に居られ、また共に生きる仲間が与えられている。心が騒ぐとき、ふさぐとき、「何か食べてください」。そこから始めましょう。私たちには、主が共に居られるのだから。