ハンナは祈って言った。「主にあってわたしの心は喜び主にあってわたしは角を高く上げる。
わたしは敵に対して口を大きく開き御救いを喜び祝う。
聖なる方は主のみ。あなたと並ぶ者はだれもいない。岩と頼むのはわたしたちの神のみ。
驕り高ぶるな、高ぶって語るな。思い上がった言葉を口にしてはならない。
主は何事も知っておられる神 人の行いが正されずに済むであろうか。
勇士の弓は折られるが よろめく者は力を帯びる。
食べ飽きている者はパンのために雇われ 飢えている者は再び飢えることがない。
子のない女は七人の子を産み 多くの子をもつ女は衰える。
主は命を絶ち、また命を与え 陰府に下し、また引き上げてくださる。
主は貧しくし、また富ませ 低くし、また高めてくださる。
弱い者を塵の中から立ち上がらせ 貧しい者を芥の中から高く上げ 高貴な者と共に座に着かせ
栄光の座を嗣業としてお与えになる。
大地のもろもろの柱は主のもの 主は世界をそれらの上に据えられた。
主の慈しみに生きる者の足を主は守り 主に逆らう者を闇の沈黙に落とされる。
人は力によって勝つのではない。主は逆らう者を打ち砕き 天から彼らに雷鳴をとどろかされる。
主は地の果てまで裁きを及ぼし 王に力を与え 油注がれた者の角を高く上げられる。」
<説教>「主の憐みは代々に限りない」
第4アドベントです。4つ目のろうそくに火が灯りました。4本目のろうそくのテーマは、「愛」です。「神は愛」であり、そのことを教えるために、イエスさまは生まれてくださいました。
今日は第4アドベントですが、クリスマスに最も近い日曜日ですので、クリスマス礼拝としてお祝いしています。
クリスマスはイエス・キリストの誕生をお祝いする日ですが、神さまの約束は必ず実現するということを私たちが再確認し、みんなで一緒に喜ぶ日でもあります。天使はイエス・キリストの母となったマリアのもとに来て言いました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」。
この祝福の言葉は、私たちにも向けられています。だからこそ、私たちはクリスマスを、喜びをもって祝うのです。クリスマス、おめでとうございます!
今日の聖書箇所は旧約聖書、サムエル記の冒頭「ハンナの歌」の箇所です。イスラエルの初代王サウルと、二代目の王であり救い主の原型となったダビデに、油を注いで王とした最後の士師サムエルのお母さん、ハンナ。彼女は長らく子どもが出来ず、熱心に神さまに祈りました。その祈りが聞かれ、子が与えられたことの喜びと感謝を歌う歌です。
この歌と、今日のこどもメッセージでお読みいただいた、イエス・キリストの母マリアの主を賛美する歌との間には共通するところが多くあります。それは、神さまは、高ぶるものを低くし、低くされていたものを高くしてくださるということです。これは聖書を貫く重要なテーマです。
神さまはいつの世も、変わることなく、驕るものを打ち砕き、低くされていたものを救って高く上げてくださる。それは、でこぼこの道が整えられ、上下なく、差別なく、すべての人が、等しく神さまを賛美するためです。
旧約には神さまによって子どもを授かるという物語がたくさん納められています。人類の祖アダムとエバ、信仰の祖アブラハムとサラ、イサクとリベカ、ヤコブとラケル、サムソン、シュムネの女、サムエルの母ハンナ、洗礼者ヨハネの母エリサベト、そしてイエス・キリストの母マリア。命は神さまが与えてくださるものであり、神さまの憐れみによるもの。神さまの憐れみは世界創造の時から、旧約の時代、新約の時代から現在、そして未来まで続いています。「神の憐れみは代々に限りない」のです。
ハンナの神さまへの賛美の歌も、マリアの神さまへの賛美の歌も、単なる感謝では終わらず、神さまがどのような方なのかを指し示しています。神さまは、驕るもの、力を誇り、富を誇り、人々を踏みにじるものを、低くし、反対に、踏みにじられ、貧しく、よろめくものを、高めてくださる方だ、という喜びの歌。ここには神さまによる社会の逆転が歌われています。人の栄枯盛衰は空しい一時の夢。どれだけ権勢を誇り、力を誇り、富を誇っても、神さまには勝てません。
しかし、それは単なる革命的な逆転ではありません。それは本来の姿の回復なのです。神さまの正義はただ悪を打倒して終わりではありません。自分の「敵」を倒して終わりではありません。それでは、憎しみの連鎖は終わりません。
そうではなく、自分で自分を高くしていたものが低くされ、他者によって低くされたものが高くされ、同じ高さにされて、同じ人として、兄弟姉妹として、神さまの前に立たされるのです。
誰もが神さまの前に遜り、神さまを敬い、他者にも敬意をもって、互いに大切にし合って生きる、そのような神さまがお造りになった、あるべき世界の姿への回復。それはどんなに素晴らしい世界でしょう。そのために、自分を低くして主を迎えようと語られています。
マリアの賛歌は、マグニフィカート、マニフィカートとも呼ばれます。これは、「わたしの魂は主をあがめます」というラテン語から来ています。
この語源は「大きい」という意味のラテン語マグヌスで、英語のマグニフィセントやマグニフィと同じです。こう考えると神さまへの賛美とは、神さま・主を自分の中で大きくするということ言えます。
自分の中で、神さまに大きくなっていただくためには、自分を低く、小さくしなければならなりません。自分自身や他のもので自分の中がいっぱいになっていたら、神さまに大きくなっていただく余地はないのです。神さま以外のもので自分の中がいっぱいになっていたら、どれだけ神さまが一緒にいてくださっていても、語りかけ、働きかけてくださっていても、なかなか気が付くことは出来ないでしょう。
神さまを大きくするといっても、神さまは自分が偉くなりたいという方ではありません。私たち人間に賛美させて、偉くなりたいという方ではありません。クリスマスは、イエス・キリスト、神さまご自身が、低くなり、私たちに模範となってくださった日です。
すべての人の救い主、神の子イエス・キリストは、若く貧しい労働者の夫婦のもとにきて、粗末な馬小屋で産まれました。ユダヤ人の王、世界の王なのに、豪華で暖かな王宮ではなく、小さな村の片隅で、ひっそりと産まれ、その誕生を真っ先にお祝いしたのは、社会からのけ者にされていた羊飼いたちでした。神さまはどんな人も見捨てない、愛してくださる。そのことを、生涯をかけて、十字架での死まで受け入れて、私たちに教えてくださいました。
神さまは、私たちのことも忘れておられない。私たちの心に、いつも一緒にいてくださっています。
「主の憐みは代々に限りない」。神さまの愛は、世界の創造の昔から、今日、未来、そして永遠に、私たちを包んでくださっています。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」。
おめでとう、私たち。私たちのために、救い主がお生まれになりました。
